推しを推すということ

実は推し変してからずっと悩んでいることがあります。それは「私は今の推しを本当に推しているのか?」という疑問。

みなさんの推しに対する感情は、現場の前後でどんな折れ線グラフを描いていますか?だいたいの方は現場中にピークがあって、現場が終わったら緩やかに落ち着いていき、次の現場が始まるまではさざ波のような曲線を描くのでしょうか。現場の前も後も変わらず同じテンションでいられたら、それは理想ですよね。あるいは、同担を視界に入れるのが嫌で、意外と現場中のがモチベ下がるって方もいるかもしれません。
かくいう私は、現場中は好きが初日から千秋楽まで爆速で上がり続けるんですが、現場が終わった途端にテンションが戻るどころかマイナスになるタイプです。
というのも、ただただ永遠に顔が好きで、どんな欠点も顔が好きという事実で全て覆せた元推しくんに対して、現推しさんは、とにかくお芝居が好き。お芝居している時以外の本人にはほぼ興味がない(なんなら苦手かもしれない)といっても過言ではないくらい、お芝居だけが好きだからです。

現推しさんは派手ではないけど清潔感のある端正な顔立ちをしているし、声量や滑舌、表現力、体力(これ意外と大事なことだと思うんですが、推してこのかた体調崩したって話聞いたことない)や歌唱力など役者としてあるに越したことはない技術や基礎がしっかり備わっているだけでなく、演じる役と本人にギャップがあっても、いざ公演を観ると配役に納得できてしまう、説得力のあるお芝居をしてくれるのでどんな作品でも安心して観ることができます。
お芝居によって悪役や脇役でも愛されるキャラクターに化けさせてしまうし、二枚目も三枚目もTHE主人公!な役も演じられるバランスの良さや、本番中にハプニングが起きても咄嗟のフォローができる頭の回転の早さ、アドリブシーンを任される頼もしさ、公演終盤にきてもなお新しいアプローチを仕掛けられる貪欲さと引出しの多さ、どんなに扱いの悪い現場でも全力で楽しめるポジティブさ、共演者に慕われる人徳、全てが役者としての魅力であり、強みであり、誇りだと思います。
…と、こんなオーディションに応募する時の他薦文みたいな褒め言葉がさらさらと止めどなく出てくるくらい大好きなのが、現推しさんのお芝居なんです。もう本当に全人類観て。現推しさんのお芝居を観るためなら可処分所得をいくらでも出せるし、お仕事に繋がるかもしれない草の根活動も厭いません。それくらい惚れています。

でも、公演が終わった瞬間、私の推しへの興味は驚くほど急速に引いてしまうのです。自分でもびっくりするくらい、昨日の感情どこ行った?ってなるんです。元推しくんの時はどんな些細なことでも知れたら嬉しくてもはやネトストと化していたこの私が、ここまで推しに対して無になれるのか?ってくらいの温度差。もちろん現場に通ってた時の感情も本物だし、終わってからの感情も本物。興醒めとも虚無ともまた違うこの感情の名は一体。

さて、ここで冒頭の疑問に戻ります。こんなに本人に興味がないのに、私は本当に推しを推しているといえるのでしょうか?推しと呼ぶに相応しい存在なのでしょうか?推しの定義は人それぞれだし、私が推しだと思えば推しなんだろうけど、推し変してからずっと、私は推してるようで推してないようなふわふわした状態のまま、公演数と同数のチケットを握りしめて現場*1に通い続けています。

*1:芝居なきは現場に非ず